SDGSについて企業の対応に違和感を感じる理由

こんにちは。グラスルーツ株式会社の高橋です。今回は今流行りのSDGSについての私が感じていることです。

SDGSというフレームが随分前から話題になってきて、近年では企業のホームページなどにも、SDGSの取り組みとうページが作成されているのを良くみかけます。それだけ浸透しつつあるんだなと思いながら、一方でSDGSの捉え方に少し違和感を感じていたので、個人的にはあまり使わないようにしていました。その違和感は何かなぁと時折考えては、考えるのをやめていたのですが、最近すっきりしてきたので、今回はその違和感について話したいと思います。

◯SDGSは環境に配慮という次元に留まらない

企業さんのページでよく見かけるのは、環境に配慮してます。というアピールの内容です。こういうものが表面的にわかりやすいからそうしているはずですが、そういうものが多くなりすぎることで、見る側に、SDGS=環境のようなイメージを与えているように感じます。

本来は、多様性、ジェンダーなどの身近なことも含まれるはずです。

企業のホームページでアピールする際には、環境問題のみならず他の項目への対応や、身近なこと、日々の行動のことにも着目した記載内容を期待したいと感じます。

こうした表現も私の違和感の中にあったものです。

◯SDGSとはなんだろうか?

SDGSは、環境のみならず人間がどのように生きるかを問いかけているように感じます。

それはつまるところ、人間の際限のない欲求をどのように調整、我慢できるかということに尽きるのだと思います。モノに対して、ヒトに対して、私達は欲求の吐け口を常に探してしまいます。しかし、考えることで、これらを我慢したり、調整することも可能な側面があります。

そうすると、こんなことは、とても当たり前のこととして、社会人は皆んな感じていて欲しいことだと、私自身は感じていました。そんなおりに、SDGSと出てきたもんですから私の中で違和感が生まれたように思います。

◯SDGSの本来あるべき伝え方

私はSDGSのフレームを、まだ懐疑的なフレームとしてみています。なぜ懐疑的かというと、現状の課題は、今現時点の課題に過ぎず、私達の知らない世界があるであろうことを無視しているようにも感じてしまうからです。SDGSの目的はそうでないとしても、言葉を記載する行為にはそのデメリットが常につきまとうはずです。 この部分が私の違和感の中心部です。

つまり、知らないことを認める謙虚さが、人間には必要で、その謙虚さがあるから、知識を獲得しても調整できのではないかと考えています。その考えからすると、フレーム化し、羅列する行為そのものが謙虚でないように見えてしまうのです。私にはそう見えます。

この事は、 SDGSそのものを否定しているのではなく、伝え方が私の好きなものではないというだけかもしれません。

◯私ならどう伝えるだろうか?

私達は、生きるために例えば、ご飯を食べくてはいけません。でも特定のものがおいしいからと言って自分だけでなく、全員食べると、その美味しいものがなくなってしまうことがあります。

このことをどう思いますか? 

例えば、こんな話になるかもしれません。昔、理科の授業で習った生態系の話に近いです。 

それってつまり、SDGSをだいぶ前に習ってきたんですね。

◯自分の言葉、身近な言葉で伝える努力を

是非、企業様や、この記事をご覧になった方には、自分の言葉や、とびきり身近で、自分の体験が入るような言葉で伝える努力をして欲しいなと思います。

フレームは、形骸化し、言葉だけが残ってしまうことがあります。SDGS本来の目的は、私達がどう生きるかについての問いかけで、全ての人のテーマです。

本当に全ての人に行き渡る必要があります。全員に伝えるためには、個人が個人的な言葉で語るひつ

その意味では、私達は、知り合い、家族にきちんと伝えていければその役割は十分に果たしているように感じます。